 |

 |
映画レビュー > 『無用』 > 無用Q&Aレポート |
|
|
 |
|
 |
 |
左から (司会)、賈樟柯監督、(通訳)、趙涛プロデューサー
|
東京フィルメックスの初日に東京国際フォーラムで上映された『無用』。
賈樟柯監督の最新作とあり、会場はほぼ満員。日本での人気の高さを物語っています。
上映後、賈樟柯監督と、今回はプロデューサーとして参加した女優の趙涛がQ&Aに登場し、会場からの質問に答えました。
■なぜ今回のドキュメンタリー『無用』を撮ることになったのか。
趙涛>馬可と初めて出会ったのは、2004年に『世界』の衣装のスポンサーを探していた時です。その時以来、私たちはいい友達になりました。2006年に彼女が無用というブランドを作っていることを、面白いのではないかと賈樟柯監督に紹介しました。彼女の斬新でクリエイティブな仕事は、『東』に続くアーティストシリーズとしていいのではないかと興味を持ち、撮ることになりました。
■馬可が山西へ行ったところで登場しなくなるのはなぜ? 賈樟柯>彼女は東北地方の吉林の人です。大学は蘇州でした。ただ彼女は内陸に興味があり、そこへよく行ってはインスピレーションを受けているのです。山西へもこれまで2度行ったことがあります。
映画と山西との関係ですが、当初は広州とパリと山西という3ヶ所を撮ろうとは考えていませんでした。撮影の過程の中で思いついたことです。この映画は衣服をキーワードにしています。彼女が「無用」というブランドを作った理由は、生産ラインで大量生産するようになったことで、衣服を作る人と着る人の関係が絶たれてしまったと考えたためです。昔は母親が作ったり、代々受け継がれていたわけです。こういったことから、私は衣服を通じて中国の現実を描けると考え、興味を持ったのです。
山西の手工業は、広州の安い服が入ってくることで商売が難しくなっているのですが、山西では作っている人と客との関係が続いています。生活は変わっても、人と人との関係は残っている。そこを通じて人間の関係を描きたかったのです。
次の作品では建築家を撮る予定です。建築家も、現代中国では必要とされている仕事です。
■前半に比べて後半はドキュメンタリーらしくないが。
賈樟柯>私の映画はよく人から「劇映画はドキュメンタリーのようで、ドキュメンタリーは劇映画のようだ」と言われます。それは自分でも認めていることです。形態として、劇映画においては劇映画への反発があり、ドキュメンタリーにおいてもまた反発があります。映画は自由なものであるべきだと思うからです。どちらにしても、現実を撮ることが重要なのです。なので、あえてそのようにしていると言えます。
例えば青年がシャツを振り回す場面がありますが、あれは演出したものです。私はかつてああいった野蛮な力に満ちた姿をよく見ていて、忘れがたい光景として残っていました。急速な経済発展の中の生活を描く上で、このような野蛮な力のシーンを入れるべきだと思ったのです。
ドキュメンタリーの映画だからこそ、いろんな手法を取り入れたいと思っています。
■音楽担当の林強との関わりと、挿入歌について教えてください。
音楽を担当した林強とは、2004年に知り合い、以来ずっと一緒にやっています。彼の音楽が私の映画をより豊かにしてくれています。
彼はロケハンもいつも一緒に行っています。三峡の時もそうでした。その土地とか気候といったものは、彼の音楽においてもとても重要なものなのです。
挿入歌は自分で選びました。
広州の場面で挿入歌としてビヨンドの曲を使ったのは、おそらく広州が広東語なので頭に浮かんだのだと思います。工場での撮影のとき、いつも口ずさんでいたのです。
また、左小詛呪の『愛的労工』という曲は、映画に登場する山西の人たちはみな無口だし、話すチャンスも無いような人たちだけど、その内心はとても感情豊かだということを、曲で代弁するために選びました。
ちなみに、『世界』に出てくる『ウランバートルの夜』という歌を作ったのが、彼ら左小詛呪です。
|
|
|
|
| Copyright (c) 2003.2004 Chinese
Cinema Club | |