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映画レビュー > 最後の木こりたち > 最後の木こりたち Q&A |
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| 左から (司会)、于広義監督、(通訳) |
東京フィルメックスのコンペ部門に出品された唯一の中国映画『最後の木こりたち』。
上映後、于広義監督によるQ&Aが行われました。
まず、登場してすぐ「みなさん、こんにちは。私は労働者です」と日本語で挨拶した于監督。よく響く声で、何かを朗読するようにはっきりと話す声が印象的です。
■元は版画家だということですが、ドキュメンタリーを撮るようになったきっかけは? 于監督>まず、今回東京に来ることができて、フィルメックスに感謝いたします。日本に来ることは長年来の夢でした。
私はこの映画を撮影した場所で生まれ育ちました。26歳の時にここを離れて20年ほどになります。両親はすでに亡くなり、ともにそこに眠っているので、毎年墓参りに行きます。中国は発展の中にありますが、国土が大きいために、まだ多くの遅れた辺境の地域があります。それでも、やはり変化していて、帰るたびに新しいものを見つけます。それを記録することにひとつの責任を感じました。そこで、この映画を撮ることにしたのです。
■木こりたちの、ひと冬の収入は?
于監督>3千元くらいです。
(映画にあるように)馬が3千元ですから、馬が死んでしまったら意味がありません。
■中国で上映した時の反応は?
于監督>中国では、いくつかの学校で上映をしました。
反応は、彼らへの同情、感動、敬意といったもので、おそらく皆さんと同じだとおもいます。
■録音はどうしたのですか? スタッフの数は?
于監督>非常に厳しい環境なので、私一人でやりました。始めは助手を連れて行きましたが、一週間で逃げていきました。
音は撮影したSONY190のカメラで撮っています。あまりいい音じゃありません。ただ、人が多いと木こりたちに影響を与えてしまいます。私は彼らと一緒に仕事をし、酒を飲み、泊まっていました。時間がたつにつれ、彼らは私が撮影していることを忘れていました。そういう方法だったのです。
■邦題には原題に無い「最後の」という言葉が入っているが?
于監督>木こりがあの場所を伐採し始めたのが1895年からだから、110年の歴史があります。2005年に、私は友人から今年が最後になると聞いて、急いで北京の中関村に行き、カメラを買って、撮影を始めました。
撮影している時は、撮ってからどうしようかは考えていませんでした。まさか今日のように、東京に来てたくさんの人に見てもらえるとは思っていませんでした。その後、海外に国際映画祭があると教えてもらい、いろいろな手助けをしてもらいました。それが、今日ここに来ている朱日坤さんです。
ここで、客席にいた北京のプロデューサー・朱日坤さんが立ち上がり、挨拶をしました。
司会からは、このタイトルについて「ただの『木こり』だと与作みたいなイメージになるので、『最後の』を付け加えた」と説明がありました。
ただ、解説をすると、この映画の英題は『Timber
Gang』ですが、もともとは『The
Last Lumberjacks』といいまして、邦題はそれを和訳したものだと思われます。
■木こりたちは、夏場何をしているのか? 今後は?
于監督>夏は農業をしています。あるいは、町で労働している人もいます。
今ここは黒龍江省でも有名な観光地になったので、民宿などをしている人もいます。映画に出てきた木こりの頭領は、私が名づけた「木[邦/巾]客桟」という宿を経営していて、私が撮った写真などを展示し、木こりたちのしてきた仕事を紹介しています。
■木材の用途は?
于監督>家具を作ったり、家を建てたりするために使用していました。
2005年に伐採を禁止したのは、森林資源が枯渇しないように環境に配慮したためです。ただ、今でも切っている地域はあります。
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