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第7回東京フィルメックス トークイベント「中国映画最前線」 |
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韓杰監督、(通訳)、応亮監督 |
| 第7回東京フィルメックスのコンペティションに出品された2本の中国映画『アザー・ハーフ』の応亮監督と、『ワイルドサイドを歩け』の韓杰監督をゲストに向かえ、トークイベント「中国映画最前線」が開催されました。 |
■二人は同じ北京師範大学の卒業生で、同じ77年生まれだそうですが、学校では知り合いでしたか?
韓杰)私が入学した2000年に応亮が卒業したので、学校では一緒じゃなかったです。
応亮)韓杰と知り合ったのは、外国で行われたショートフィルムフェスティバルでした。習った先生が同じだったので、自然に知り合いました。
■中国で映画を学ぶといえば北京電影学院だと思うのですが、北京師範大はどういう学校ですか?
韓杰)北京師範大は総合大学で、中文科、英文科、音楽科、舞踏科などいろいろな専攻があります。90年代に北京電影大学の有名な先生が来て、テレビや映画を製作する有能な人材を育てるための、新しい学科を作ったのです。
応亮)北京電影学院はソ連式なんです。学科を監督科、撮影科、美術科などに細かく分けて、それぞれの専門を学ばせていました。90年代に電影学院の教員がアメリカに研修に行ったとき、アメリカでは違う方法だということを知ったのです。アメリカではいろいろな分野を学び、学生がその中から自分に合ったものを決めていくという方法をとっていました。
北京師範大は、そのアメリカの方式を初めて採用した、いろいろな分野を学ぶ実験的な学校です。
これまで12年間有名な俳優や監督を育ててきました。もっとも成功しているのは、私と同じクラスだった監督の寧浩です。
■第六世代のころまでは北京電影学院だけでしたが、今はいろいろな学校があるのですね。
応亮)そうですが、状況はそれほど良くないです。四川には6,7校にこういった学科がありますが、どれも教えられる人材が不足しているし、卒業後の就職の状況も良くないです。きちんとしているのはやはり北京電影学院くらいで、私が行った重慶の学校も、そのあと仕事をした昆明の学校も、あまり楽観できる状態ではなかったです。やはり教員の経験が足りないですね。
■応亮監督はその後、四川で映画を撮っていますが、その理由は?
応亮)この仕事は好きだけど、とても保守的な業界で、みな自分の役割だけをこなしているという感じなんです。私は卒業後、テレビの仕事もあったのですが、やっても無駄だと思いました。そのとき重慶に行く機会があったのです。
私は22,23歳まで中国の東部で生活していて、西部についてはよく知りませんでした。そこで、西部へ行ったら自分を変えて、新しいものを得ることができるのではないかと思いました。
■韓杰監督の卒業後の経験は?
韓杰)賈樟柯監督に知り会う機会があり、ショートフィルムを見てもらいました。その時、カメラマンをやらせてほしいと言ったのですが、監督になるべきだと言われました。それから助監督として『世界』『三峡好人』などを経験しました。本数は少ないですが、撮影から編集まで、全ての部門で仕事をすることができました。
■お二人が監督になろうと思ったきっかけは?
韓杰)もともと絵画が好きで、画家になりたいと思ってました。子供の頃は、親戚の家でいろんなVCDを見て育ち、映画にも興味があったのですが、家庭の事情もあって学校ではコンピューターを学び、仕事につきました。でも好きではなかったので、成績は悪かったです。そのころ、張芸謀の『我的父親母親(初恋のきた道)』を見たんです。その日は興奮して眠れませんでした。それからすぐに辞職して、北京師範大に入ったのです。
応亮)私はそれに比べてやや受動的ですね。私は学校の成績が非常に悪い子供で、言うことを聞かず、遊んでばかりいました。当時は今より大学に入るのが難しかったですから、とても大学には入れないと思ってました。英語などの科目ができなかったので、普通の大学は無理だろうと。
80年代にはいろんな映画を見ましたが、商業映画ばかりで、自分でやるとは思ってなかったですね。
高校を卒業してからは、旅行の学校に入りました。旅行ガイドにでもなろうと思って。そのころ、たまたま新聞を見ていて、北京師範大が募集していることを知ったんです。
国語の成績は良いほうだったので、できるんじゃないかと思って、試験を受けたらなぜか通ってしまいました。
でも映画のことは何も知らなかったので、一年目はとても苦労しました。他のみな学生は映画が好きで、映画の事をよく知ってましたから。特に寧浩はよく知っていて、私もいろいろ勉強しました。
在学中に練習として20本くらいの短編を撮りました。そのとき周りにも褒められて、自分でも映画が好きになりました。両親はずっと私がろくな仕事に就かないんじゃないかと心配してたので、今はとても喜んでいます。
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二人とも77年生まれで、中国の映画監督としては最も若い世代。特に応亮や話に出てきた寧浩の作品は、新しい中国映画の到来を感じさせてくれます。これから彼らの動向に目が離せません。
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